よみむめも

正しい瞬間に正しいことばを見つけるために

アンドレア・ウルフ(2017)、鍛原多惠子訳、「フンボルトの冒険 自然という〈生命の網〉の発明」、NHK出版

Abridgment for Me
自分の目で見たい、自分の感覚で確認したい、自分が見たこと、感じたことが独りよがりではないことを証明したい、伝えたい、という情熱を89歳で亡くなる瞬間まで絶やすことがなかったアレクサンダー・フォン・フンボルトと、彼の情熱に負けるはずがない人々(チャールズ・ダーウイン、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテシモン・ボリバルヘンリー・デイヴィッド・ソロージョージ・パーキンス・マーシュ、エルンスト・ヘッケル、ジョン・ミューア)の冒険物語

My Favorite Expression
自然にかんするそのような本は、自然そのものと同じような印象を与えるものでなければならない(「コスモス」執筆前の構想)

Intriguing References
フンボルト自然の諸相 ── 熱帯自然の絵画的記述』(2012)木村直司編訳、筑摩書房
Die Kosmos-Vorträge (1827/28)
『新大陸赤道地方紀行』(2001)大野英二郎、荒木善 訳、岩波書店
ダーウィンの『種の起源』』(2007)ジャネット・ブラウン、長谷川眞理子訳、ポプラ社
ファウスト』(1969)大山定一訳、筑摩書房
My Impressions
フンボルトの目になって今の環境を悲観することはお手軽なんだけど、フンボルトの楽観を真似して、残されている自然とヒトとの関わりを「見てやろうじゃないの」と鼓舞する方を選びたいね.フンボルト先生に敬意を表して.子どものころに「読まされた」教科書的なものとは違う、面白い伝記が発刊されるようになって嬉しい.

ところで、マーシュ(フンボルト心棒者のひとり)が「人間と自然」で書いたという「地球は急速に、そのもっとも気高い住人の住処に適さない場所になりつつある」という表現はいただけない.

そうではなくて、ヒトは地球に住むに適するような気高い住人ではなくなろうとしている、とか

もう、その気高さを望まなくなっている、とか、

気高さを志す社会をヒトが諦めようとしている、とか、そういうことだと思うからな.