よみむめも

正しい瞬間に正しいことばを見つけるために

ポール・グリーンバーグ(2013)、「鮭鱸鯛鱈 食べる魚の未来」、地人館

Abridgment for Me

◯養殖漁業の総論から3点

1.背景 養殖漁業が盛んになり始める1960年代前後の科学万能信仰 例:「飼育できる」=「飼育すべき」

2.養殖漁業の流れ 公共資源(それまでは誰のものでもなかった)の私物化→養殖の効率化、生産量増大、規模拡大競争→養殖場環境劣化、野生魚生息地環境・遺伝子劣化→コストのバランス崩壊 例:1kgのサケ生産のための飼料に3kgの野生魚

3.アメリカの養殖家、生態学者ジョシュ・ゴールドマンによる養殖適性基準 ・丈夫であること=自然環境下で、孵化から成魚までの生残率が高い、繁殖しやすい =原始的方法で飼育しやすい=世話がいらない、飼料に別のエネルギーが不要 、この基準に照らせば表題の4種の魚はどれも不適切.

◯漁業と野生魚の生息環境を維持するために求められるものは 「羊飼いのような漁師」.彼らは漁業規模をむやみに拡大する構造を生み出さない.なぜなら、彼らは海岸から海洋にかけての「守護者」でありつづけるはずだから.技術に追われ追い越されて翻弄する漁師ではなく、例えばエネルギー資源を目的とする乱開発に対しても善良で賢明なストッパーになるはず.

 

My Favorite Expression 「魚を捕る権利は、スーツケースの中に船を買う金を持っているかどうかで決めるべきではない.漁を再生可能にするために、管理者や科学者と共同して仕事をする知識とやる気があるかどうかで決めるべき」

Intriguing References マーク・カーランスキー「鱈」

 

My Impressions 

著者の故郷であるマサチューセッツ州ターナーフォールズからアラスカ州ノルウェーイスラエルギリシャケ西岸ファロニア島、イタリア沿岸アンコナ、メコン川ナイル川、ハワイ沖水深100m 、最終氷期が終わってサケが分布を広げるスタート地点の1万年から2万年前に始まり19世紀のフランシス・ゴルトンの優生学にも立ち寄り、1930年代の育種研究と1960年代の養殖研究開発を経由、2010年、

なんて広く深い取材なんだ.

生物と関わった体験がある視点が自然や環境問題を取材したものは客観なんてことに媚びない、面白い報告になっていたっけ……と、ある若い記者の顔を思い出した.情熱を傾けることができる分野を見つけ出して食いついていくのもジャーナリストには欠かすことができない欠いて欲しくない資質.釣り好きの著者が持っている、獲物に対する執着と同じように、どこまでも対象を追って行く姿勢が読後に気持ちよく残った.
海の事情は、やっぱり深刻だ.私が食べている鮭も生き残りでしかない、ということか.

 

 

 

 

http://www.chijinshokan.co.jp/Books/ISBN978-4-8052-0867-0.htm