よみむめも

正しい瞬間に正しいことばを見つけるために

アントニオ・ダマシオ(2019)、高橋洋訳、「進化の意外な順序 感情、意識、創造性と文化の起源」、白揚社

Abridgment for Me
アフェクト=私が生まれてからこれまでの間に私を取り巻いた何もかも.意識上、下に関わらず、浴びた時間のできごとすべて
意識=主観を自覚すること
ヴェイレンス=今、このときが、「私」の生命(ホメオスタシス)にとってどうなのか、評価する能力、ホメオスタシスは感情が翻訳してくれる

Underlined sentences
◯単純な生物では(生殖を)自律的な自己組織化のプロセスによって自然に生じたオプションの中から選択され、複雑な生物では選択は文化的なものになる
◯「永遠の命」に含意される傲慢さ
ホメオスタシスは自然選択の背後にある価値基準であり、自然選択はもっとも革新的で効率的なホメオスタシスをコードする遺伝子と、それを持つ生物を選考する

Intriguing References
「遺伝子という神話」(1998)Richard C. Lewontin、川口啓明、菊池昌子訳、大月書店
「知の挑戦ー科学的知性と文化的知性の統合」(2002)E.O.Wilson、山下篤子訳、角川書店

My Impressions
どんなに遊びが変わっても、どんな学力の子どもでも、小学生から中学生の「どうして」には宇宙の起源や宇宙があり、その中に私たちが住む地球がある意味を問うものが含まれる.「その答えを見つけるために勉強しているんだよ」と、自信を持って伝えたい.もちろん、彼らは白けるだろうけれど.

フェデリコ・フェリーニ、ジョヴァンニ・グラッツィーニ(1988)、竹山博英訳、「フェリーニ、映画を語る」、筑摩書房

My Favorite Expression
「きみは学校に好意と感謝の念を示しているが、子どもの教育には不適当だと思っているようだね.もし教育大臣になったら、学校をどんなふうに改革するかい?」
私には子どもがないし、甥や姪にもめったに会わず、いつも映画製作にかかりっきりだから、現在の学校の状態がわからない.ただ建物の外観がきれいになったことと、規律が大幅にゆるめられたことを除けば、私の時代とさほど変わっているとは思えない.つまり生徒の自己形成補助という責任をはたす意欲がない、その準備が無い、と見える.私が言いたいのは、学校に入る年齢の子どもは現実と想像力の区別があいまいで、意識の世界は発達し始めたばかりだ、ということだ.
それに反して、子どもの非理性的な、夢の世界、深層との通信の世界はずっと広大で、意識の世界との境界ははっきりせず、まだ薄い膜でへだてられているだけで、しかも孔だらけだから、交替、浸透、不意の侵入といった現象が起こりうる.年とともにあっけなく消えてしまう、こうした至福の状態は、学校では、生命能力の拡張、知識の宝庫、貴重な宝として認められ、保護されるのではなく、
計画的に無視され、疑いと不信の目で見られ、子どもが押し込まれるべき、紋切り型の秩序の干渉にあう.これはだれの罪でもなく、普通教育問題に直面するときの、私たちの精神的怠惰、無関心、無能力のせいだ.
私たちは子どもの世界に根本的には注意を払っておらず、子どもとは、訂正が必要な誤りだと考えている.
だが、本当はやや変わった人物とみなすべきで、現実をとらえるのにまだ未発達だが無傷のままの手段をもち、まるで自然の事物のように、私たちが失ってしまった知識をまだ保持し、私たちが忘れたり強制的に抹殺した多くのことを知っている存在と考えるべきだ.
もし子どもを持っているのなら、まず私が子どもから学ぼうとするだろう.親は決まって反対のことをする.子どもにばかげた知識を押しつけ、子どもに問うことはしない.親がかがみこんで、子どもに、何をしているのか、何が欲しいのか、猫をどんな風にみているか、雨はどうか、夜はどんな夢を見たか、なぜこわがっているのか、訊いてみる姿など見たことがない.私たちは様々な問題にかかりきりで、現実への近視眼的見方に完全にとらわれている.
私は、横暴で、残忍で、動物的な無邪気さを持つ、しかめ面の、おどけた、あの小さな狂人にいつも引きつけられてきた.私が作らないで後悔している映画は……実際には不可能なのだが……都市の郊外の大きな建物に住んでいる2、3歳の子ども30人の話だ.
子ども同士が階段や踊り場で出会うときに交わす視線、扉の背後にいる時、揺りかごに入っている時、あるいは乱暴に手をつなぎあっている時の、不思議な、テレパシーによる伝達、こうしたものが私をひきつける.子どもたちが目にし、頭に自分なりに描いている広大な共同住宅での生活、階段や廊下や前庭での、完全な愛と憎しみと不幸.そして子どもたちは幼稚園に連れて行かれ、最初の日にうさぎのように去勢されてしまう……映画化できなかった企画の中でも、特にこの企画を考えると『マストルナ』とともに、きまって私が企画自体に非難されているような気分になる.おそらくおかしくて感動的な映画になっただろう.あの人形じみた子どもたちは大きな宝物庫であり、頭や心や腹の中に、小さくて巨大な金庫を持ち、少しずつ消えてゆく秘密をかかえこんでいる

ピーター・ゴドフリー・スミス(2018)、夏目大訳、「タコの心身問題 頭足類から考える意識の起源」、みすず書房

Abridgment for Me
「単なる物質からどのようにして知性や心が生まれたのか」がテーマ.
読みながら、私の関心は「単なる物質からどのようにして知性や心が生まれたのか、ということを知りたがる心と、まったく興味を持たない心の違いはどこから来るのか」という、もっと人間臭いことなのだと思った.つまり私の関心は教育に係る課題で、この著書は時間的にも生物分類の範囲においてもスケールがもっと大きかった.

Underlined sentences
◯オクトポリス一箇所だけの、数年という時間は進化的にはゼロに等しい.進化が生じるには、かなりの広い範囲で、少なくとも何千年という長い時間にわたって何かが持続しなくてはいけない.
◯頭足類の中でも知性が複数、平行して進化した証拠があるということだ.この事実は、頭足類が複雑な神経系を持つように進化したのは単なる「偶然」ではないことを示唆する.単なる偶然であれば、何度も起きる可能性は低いからだ.

Intriguing References
レフ・ヴィゴツキー(2001)、柴田義松訳、「思考と言語」新読書社

My Impressions
生物哲学という分野の著者の関心が広く深く、また海中の観察の様子が美しい.
ヒヒが社会生活で確立している3、4種のコールと解釈能力の関係と、頭足類の、色素胞の組み合わせで無限のコトバの「つぶやき」と存在しない受け手の関係は、ヒトが現在行っているコミュニケーションの技術自体も進化という実験なのではないかと思えて来る.

L・P・デービス(1974)、白木茂訳、「四次元世界の秘密」、あかね書房

My Impressions
本棚の整理のために、処分しようと思っているものから順番に読むことにして最初に手に取った児童書.小学生のときに父が私に買って来たもので、読んだはずなのに全く記憶していない.今回読みながら「結構、難解なものを渡されたものだな」と思った.父は読んだのかね.一次元世界の生物が二次元世界を理解できないこと、二次元世界の生物が三次元世界を理解できないことが想像できれば三次元世界の私たちが理解できない四次元世界があり得る、ということを理解できる小学生であれば、私の人生は今とは違っていたかもね.

アントニオ・G・イトゥルベ(2016)、小原京子訳、「アウシュヴィッツの図書係」、集英社

Abridgment for Me

奇跡だけが希望だった時間の記録

My Favorite Expression

「再び本を手に取ると、人生がまた始まる気がする」
Underlined sentences
「真実は戦争の第一の犠牲者かもしれない」
「真実は運命の気まぐれで変わって来る.でも、嘘はもっと人間臭い.人間が自分の都合がいいように作り出すものだ」

 Intriguing References

「兵士シュヴェイクの冒険」ヤロスラフ・ハシェク
(どこかで見た名前だと思ったら、ル・グウィンの「所有せざる人々」のアナレスの人、シェベックだった.ちょっと違った)

My Impressions

武器.

人間が自分を守るために持つ道具.
絶望的な檻の中で、色々な武器を携えた人たちがいた.
「私たちが憎しみを抱けば彼らの思うつぼです」そんな信念を抱いていたモルゲンシュテルン先生は、恐怖に打ちひしがれた人々とは違うペースを持っていただけで、狂人を装うことが目的だった訳でもないのだろう.
ミリアム・エーデルシュタインは、友人への優しい眼差しを武器に、
ニルスのふしぎな旅」のリクエストに何度も応えたマグダ、「モンテ・クリスト伯」のマルケッタ、子どもたちに科学の心を補給し続け、共産主義が何たるかを熟知していたオータ・ケラー、
強靭な自分を作り、目標を作ったフレディ・ヒルシュは、自分の弱さと強さのジレンマに殺される方を選んだのか?ミリアムおばさんが言うように「いつでもすべてに答えがあるとは限らない」.
ヒルシュの強靭さは、最後の選択も含めたものだと考える方が救われる.ひとりのカリスマに期待したルディが絶望することで、彼は逃亡欲求を最大限にして武器にできたし、自身のデータを武器にして、そこから生まれる正義感がなによりも武器だったはずだし.
図書係のディタの武器は真実への欲求と想像力だった.
娘の目には非力に見えたディタの母リースルの武器は、非力を自覚して考え続けることだった.
著者があとがきで書いているように、実在の英雄なのだと思う.
英雄が生まれる社会は平和な世界ではないのだね.そうか、平和というのは平等に和やかということなんだ.

ニコラス・ウェイド(2011)、依田卓巳訳、「宗教を生み出す本能 進化論からみたヒトと信仰」、NTT出版

Abridgment for Me
原題"The Faith Instinct : How religion Evolved and Why It endures"
並行して読んだ本は「アウシュヴィッツの図書係」/アントニオ・G・イトゥルベ(2016)、小原京子訳、、集英社 と、「A3」/森達也(2010)、集英社
別次元の、別の場所の、別の時代の「ヒトの集団」についての読書は「社会人類学史 1.宗教の起源研究」概論と各論の時間になった.

Underlined sentences

「進化論は生物学の土台であり、人間は生物学的世界から離れて生きることができない」
「文化は自律的ではない.人間性は文化のみによって書きこまれる白紙ではない」
社会関係資本は再建するより破壊する方がたやすい」.
「宗教と社会が影響しあって、道徳や信頼の規範を確立していくプロセスがある……宗教によろうとよるまいと、人々はどこにいても自分の社会の道徳規範にしたがおうとするものであり、その規範がどうあるべきかという期待を形成するうえで、宗教は強力な役割を果たしている.こうして確立された規範が信頼の基盤になり、経済活動のみならず多くのことがらがその信頼に依存している」
「詰まるところ、宗教がすぐれているかどうかは、その設計と運用にどれだけ知恵が絞られたかにかかっている.アステカ王国は結局長続きしない体制だった.生贄と貢ぎ物という王国のふたつの目標が、事実上矛盾していたからだ」
「宗教は存続に貢献する強力なシステムだが、その社会知を体現しているにすぎず、社会の知識が不十分であれば宗教も救いにならない」
「むしろ宗教はデュルケムが言うような構造を持ち、社会のニーズにいくらでも適応できる.超自然的存在との暗黙の交渉によって形作られ、そこで超自然的存在は社会の利益を増やすように命じる.当然ながら、その内容は交渉者の技術と発想にに大きく左右される.しかし、まずは交渉が可能なのだと理解することが必要だ」

Intriguing References
Wahington's Farewell Address 1796
「『信』無くば立たず 『歴史の終わり』後、何が繁栄の鍵を握るのか」(1996)/フランシス・フクヤマ加藤寛訳、三笠書房

My Impressions
厳格なオスの平等主義の狩猟採集時代の小集団社会を結束させた「道具」の延長上に、定住生活時代に形成された社会を結束させた「道具」があり、それを「宗教」と呼んでいるということの、社会科学分野、文化人類学分野のダーウィン的(進化論的)検証は、第二次世界大戦で生まれた不幸な解釈で中断されたけれど、再開しているらしい、ということか.
宗教の変容に関する記述のところで、古代ローマ皇帝、古代エジプト王、英国君主、そして日本の天皇が並べられているところは、歴史に疎い私でさえ、雑に感じた.それまでの丁寧な論理の組み立てだっただけに、ちょっと残念.注釈で頑張って欲しかったな.こういうところが研究者とジャーナリストの姿勢は違う.
それにしても、畑を耕す人間の意義を作り損なったアステカ王国の欠陥を知らないふりをする経済、政治は無責任すぎる.5万年前には宗教の素があったはずだということや、結束と対立の両面がデザインされていることや、それから、書かれてはいなかったことだけれど、変異・遺伝的浮動・淘汰という観点から、そこにオス社会があるかメス社会があるかということで生き残った宗教が全然違って来たかもしれないと考えてみたりすることが新鮮だった.そして、ひとりの親あるいはひとつの家庭とか偶々居合わせた社会で、道徳というものが子どもに伝えられている社会はつくづく危ういと思った.

ジョナサン・ハイト(2014)、高橋洋訳、「社会はなぜ左と右にわかれるのか 対立を超えるための道徳心理学」、紀伊国屋書店

Abridgment for Me
「象という直感」と「象使いという正当化」、チンパンジー的嗜好ととミツバチ的嗜好の使い分け、アメリカ的リベラル、アメリカ的リバタリアンアメリカ的保守主義の皮を剥ぐと出て来る6つの道徳基盤(ケア、公正、忠誠、権威、神聖、自由)と、それを人々が理解することで緩和できるかもしれない対立構造
My Favorite Expression
・道徳の構成要素をもつこととそれらを組み合わせて道徳システムを構築することの違いは大きい(チンパンジーとヒトの間にある、ある距離について)
・ここでしばらく生きていかなければならないのだから、(相手を称賛し誠実な関心を示すマナーで)やってみようではないか
Intriguing References

・Hatami.P.K. et al.

A Genome-Wide Analysis of Liberal and Conservative Plitical Attitudes

・バーバラ・エーレンライク

Dancing in the Streets:A History of Collective joy

 

My Impressions
例えば、敵対する陣営が抱く社会の危機感に「妄想」という評価を下したくなったとき、そもそも、その言葉の定義(妄想というのは「実際には」存在しないものに対する、「理性」によっては制御出来ない「誤った考え」や「執拗な」信念である)には、「実際に」「理性」「誤った」を判断するための道徳マトリックスに依るところが大きいのだということを一方が思い至ることによって、互いに合意することができれば(それを「妄想」と解釈するか否かの違うけれど、それぞれが解釈する姿勢自体は誤りではない、存在についての認証)、少し対立の意義が変わって来る、というこんがらがった糸を解すために、たくさんの知恵と勇気と努力が必要なのだということが繰り返し書かれていた.こういうのを「愚直に一歩一歩」というのだと思った(勉強しない政治屋の自称「愚直」は、ただの、本物の怠け者の言葉遊びだと改めて思ってむかっ腹)

ところで、あのレクター博士と「神の肉」(A Cultural History of the Magic Mushroom)の著者の名前が偶然ながら同じで……